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2009年6月

年に1300杯ミルクティーを飲む桃太郎

 NHKラジオ「ふれあい落語会」で久々に渋谷に行く。共演は、鶴光、小朝、菊之丞師。打合せも何もなく、ただ落語をやるだけだから楽な仕事である。

 この番組は、解説者があの伝説の堀井憲一郎氏である。堀井氏は、落語会に年間500回行くという強者である。それも全部、金を払って行くというのだから、すごい人である。

 NHKテレビの「笑いがいちばん」も頼まれる。NHKはありがたい。1年にテレビ2本、ラジオ2本は必ず依頼がある。

 帰りに渋谷で焼肉を食べる。うまい。やはり、渋谷はいいなあと付人と語り合う。

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  堀井憲一郎氏とボク

 十条は着いてから、地下の喫茶店へ行く。ここはたいてい空いている。マスターが閉店前なのに掃除を始める。もうここへは行かない。

 落語好きの先生と話して驚く。誰もが好きな落語家、故S師匠が好きでないという。

D師匠の場合は時々あるが、S師匠なのでびっくりした。理由は、落語があわただしくて落ち着かないのだという。好き嫌いはそれぞれで仕方のない事だ。師・柳昇も桂小南師匠もよく言っていたが、「10人のお客のうち、5人に好かれれば5人には嫌われてもいい」という事を。

 そういえば、本にも出ていたが、『10人全部に嫌われるのはバカであり、10人全部に好かれるのは悪人で、10人の内、5人に好かれて5人に嫌われるのが利口である』と。

昔の人はうまい事を言うなあと思う。

 最近、寄席の顔付け(番組)が厳しくなってきた。理事会でも、田澤事務局長から、席亭の要望と報告があり、理事でもダメな者は使わないという。それは当り前の事で、大いにやってもらいたい。

 理事の中には、「みんな平均に出られるように」などとバカなことを言う者もいる。努力している者も、怠けている者も一緒にしろという事か。こういう人が理事だというから困った事である。円生師匠にカツを入れてもらいたいものだ。

 講談社の中本、小原両氏から「早く本を書いてくれ」とせっつかれている。俺のこのブログでもまとめて出してくれるのならありがたいんだが、そうはいかないだろうね。

ヤレヤレ。

 自民党が、東国原知事に「自民党総裁にしてくれたら、入党してもいい」と言われたという。おどかされたといってもいい。自民党もここまで落ちたかと、歴史の恐ろしさをつくづく感じる。この現実を、故・岸、角栄、佐藤、河野一郎などの剛腕政治家が知ったら、どんな思いをするだろう。

 たとえば今、国民投票で総理大臣を選んだら、ビートたけし氏がダントツ1位だろう。その師匠が、談志師匠ってんだから、談志という人もすごい人なんだねえとしみじみ感じる。

 今日は喫茶店三軒。赤羽のビートルズの曲がかかっている店、その後昔風の店、そして今、十条のサンマルクでこの記事を書いている。

 ああ、中野の「艶歌」で、三橋美智也、春日八郎、ひばり、島倉をおもいっきり聴きたいねえ。

7月になったら、加藤、林田、小山氏と絶対行くぞ~~~

 

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明日は明日の風が吹く

008_3  府中、柳昇追善興行には多数のお客様に、お越し頂きありがとうございました。東府中の駅では、行き帰り、お客様と一緒に写真を撮られたり、握手を求められたり、気を使って大変でした。

 俺は「春雨宿」をやった。調布の駅で、秋田出身の奥さまに、「故郷を思い出して懐かしかったわ」と感謝された。そして「桃さんの落語には温かさがあるから好きです」とほめられた。そういう褒められかたは初体験なのでうれしかったなあ。

010  

 芸協の逆襲・「桃太郎、平治二人会」は、ポニーキャニオン」のCD録音なので、いささかキンチョーする。俺は「長短」「死神」。

 このポニーの瀧口氏は、穏やかな坊ちゃん顔をしているが、大変するどい人である。それは、氏著書の講談社現代新書「平成落語論12人の笑える男」を読めば分かる。

 失礼ながら、あれほど文章がうまく、落語をよく知っている人だとは思わなかった。とにかく頭が良いのだ。オフィスエムズの加藤氏といい、瀧口氏といい、腰が低くにこやかな顔をしているが、内面は激しいものを持っている。

甘えていたらエライ事になると、さらに身を引き締める桃太郎であった。

 終わってから、そば屋で打ち上げ。平治が、俺の妻も含めて三人の女に囲まれてモテモテだった。ここは、加藤氏におごってもらう。ありがとう。

 帰りは、行田の小山さんに車で送ってもらう。こちらもありがとう。

 現在は、国立演芸場のトリ。毎年6月は俺のトリと決まっている。

昨年、桃さんのファンだといって演芸場の前で会った、横浜から来たという、長身のミニスカートの美女はどうしているのだろうか。今年はまだ見えていないが。それともあれは夢だったのだろうか…。

 このトリで新しい発見をした。理事会、法事と朝早く起きる日が多かったが、その日は高座で滑舌が良いのだ。お昼まで寝ていると、滑舌が悪くなる。何とかして、早起きの癖をつけなければと思う。

 帰りに、色物の女性と道でばったり会ったので、喫茶店でおごる。地下鉄で切符を買えと言って千円渡したら、おつりを返さない。向こうは千円もらったつもりでいるらしい。返せとも言えず、困った事である。

 相変わらず、喫茶店に行くので、ノンカロリーの甘味料を持ち歩いてから、3ケ月で体重が3キロ減った。腹が引っ込んだので、着物が長くなって困る。

 23日にNHK「ふれあい落語会」は裕次郎23回忌なので、「裕次郎物語」をやるので国立でさらっている。

 今日は、調子に乗って裕ちゃんの歌を5曲も歌ってしまう。「アンコール」とお客は大喜びだったが。古典はどうしたという客もいただろうね。

 終わってから、演芸場の裏で団体客のおじさん、おばさん達と遭遇、「裕ちゃん、裕ちゃん」と握手責めに会う。ちなみに「桃ちゃん」という人は一人もいなかった。

 落語家というのは、変な商売であるが、ありがたい商売でもあると思いつつ、永田町の坂を登って又喫茶店へ入って行く俺であった………

 青木さん、高価なコートとセーター、バッグありがとうございました。いつでもご連絡ください。

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ネオン大好き桃太郎

001_4 3月三派連合末広亭余一会

 35日間、ぶっ通しで寄席に出た。合間に、地方の落語会や柳昇七回忌落語会など、色々出ていたので、クタクタになった。でも、俺は寄席一軒だけだったが、権太楼さんは50日間寄席2軒で、全部トリだというからすごい。

 俺も40代まで2軒は平気だったが、今は一寸苦しい。気持の問題かもしれないが。要するにたるんでいるんだろうね。文治師匠や師匠・柳昇は、八十まで二軒掛けもちしていたっけなあ。

 高崎の葡萄屋寄席に行って来た。権太楼、談笑、ほたるさんと俺。久々に楽しい仕事だった。高座もやりやすくて、軽くしゃべってウケる。俺は「春雨宿」をやる。終わってから何人かのお客さんが、受付に「今の落語は何という落語だ」と言って来たそうだ。やはり、他人が演じない落語は得なのかねえ。

 終わってから席亭が経営するレストラン「葡萄屋」で打ち上げ。ここのオーナーの作る料理はうまい。美食家の俺が日本一と保障する。にんにくパスタ、そして、フランスパンにすみイカをのせて食べる。サラダも絶品。何でこの人が作ると、こんなにうまいのだろう。シェフの古今亭志ん朝か、柳家小三治というところか。

 帰りは皆同じコースで、新幹線、埼京線とつないで帰る。権太楼さんとずっとしゃべって来て、楽しかった。又、弟子のほたる君が、合いの手にちょこっとしゃべる。これが実に間が良いのだ。そして、俺には「師匠、2チャンネルなんか見ちゃいけませんよ。あんなの見てると、性格が悪くなります」と忠告してくれる。美輪さんも同じことを言ってるらしい。

 イヤー、ほたる君はいい。俺もあんな弟子が欲しい。二ツ目なのに、権太楼さんと俺のカバンを持ってイヤな顔ひとつしないで、前座並みに良く働く。柳家ほたる君、いい落語家になってね。談笑君も感じいい。この人は売れるだろう。

 石原裕次郎二十三回忌を、国立競技場で15万人集めてやるとさ。娘がすぐ申し込む。又、パチンコ店でも裕ちゃんを使うという事で、若き日の裕ちゃんの姿がテレビで流れてる。

 若い頃の痩せている時は、本当にカッコ良かった。「太陽にほえろ」「西部警察」を見ると、太っていてガッカリする。6月23日のNHKの「ふれあい落語会」では、久々に「裕次郎物語」をやろうと決める。

006 010  近所のゆうちゃん 

最近びっくりしたのは、ある師匠が亡くなった時、遺言状が出てきて、「次は〇〇に芸名を継がせる」といって、順番に二人の名前が書いてあったという。

 しかし、現実に芸名を継いだのは、この二人以外の落語家だったという。

 おどろいた。師匠の遺言というものは、そんなに軽いものなのだろうか。

 柳昇一門で、六代目柳昇を継ぐのは、昇太しかいないと俺は思っている。だが、もし師匠の遺言状が出て来て、昇太以外の名前が出てきたら、俺はそっちに継がせる様に動くだろう。そうしなければ、申しわけなくて師匠の墓参りもできないではないか。遺言状というのは、それほど重いものだと俺は思う。

 オフィスエムズ加藤氏のプロデュースで、9月20日、人形町で俺の独演会「桃太郎古典への道」が決定する。ネタは「寝床」と「浮世床」。加藤氏は、俺が新作をやる事を許してくれないのだ。けれども、こうやってムチを打ってくれる人がいるから、俺はがんばれるのだ。

 休みが三日続く。家にいる事が嫌いな俺は、連日、東長崎、川口、そして今日赤羽の老舗喫茶店「トゥモロー」で、これを書いている。そうして再び、東京にいる幸せをしみじみ感じる。

 現在、長野市には俺の好きなレトロな喫茶店が一軒しかない。俺が高校時代には30軒はあった。上田には一軒もないだろう。当時は20軒はあったはずだ。

 当時、映画館も長野市16館、上田市が6館あった。映画館、喫茶店、ラーメン屋、あー、懐かしいねえ。

 

 行田の小山さん、いつもありがとう。

二時間もかけてブログを書いていて、バカバカしくてやめたくなる。

この時間を稽古に当てた方がいいかもね・・・・・。

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